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文筆家・木村衣有子さんより寄稿いただきました2023.01.16

文筆家の木村衣有子さんより寄稿いただきましたので、ご紹介いたします。


北クラ2022を振り返って

「北のクラフトフェア」。

 クラフトフェアの企画が持ち上がっているとは前々から聞いていたけれど、これほどまでにストレートな名が冠されてはじまるとは予想だにしていなかった。

 開催の前月、盛岡でクラフトももちろん扱う家具の店『Holz』の平山貴士君とお喋りをした。平山君はそのとき、この催しの名称を、軽やかに、キタクラ、と略していた。正直言って、それまで、どんなふうに滑り出すのかあまりイメージが掴めないでいたのだけれど、不意に、そういえば前から名前だけはよく知っている人に対する親しみのようなものを感じた。そしてやはり「北」であることは略してはいけないのだと再確認させられた。

 平山君はキタクラの会場の中にお店を出しはせず、街の中でいつものようにお店を開けるつもりだと言った。会場を出てから歩いて5分とかからないくらいのところにあるいつものHolzの店内で、最寄りの交差点が「岩手公園下」であることに因み、普段から扱っているクラフトを「下のクラフトフェア」というテーマに沿って並べるとのこと。なるほど、キタクラに来た人たちに会場の中のみならず街を回遊してもらうためのアイデアね、と、得心した。

 いざ、盛岡の街なかで、そういう風な姿勢でキタクラに臨んでいる人は平山君ひとりではなかった。

 桜花の季節、あるいはチャグチャグ馬こ、さんさ踊りなど年に一度の定番となっている行事など、いつもと比べて断然人出が多い日の盛岡に身を置いたことは幾度もあり、そのはなやぎや熱はじゅうぶんに見知っているつもりだったけれど、今回はそれらのときとはまた少し違う充足感が街を満たしていた。そう、キタクラは囲い込まれたテーマパークとはならずに街に滲み出していた。

 後日、お隣の秋田県からキタクラに出かけた人たちに感想を聞いてみると、誰もが、会場内の事柄だけではなく、街の動線や雰囲気について語り出したのも印象的だった。盛岡の底力を見せつけられた、との言葉も飛び出した。だからといって模倣はせずに自分達はまた違うかたちでなにかやってのけようと決意したと言う人もいた。

 街と融合するクラフトフェア。その滲みが街のサイズとちょうどよく呼応していたのかもしれないし、実行委員に名を連ねる木村敦子さん、水野ひろ子さんのふたりが十数年のあいだ発行し続けてきた『てくり』が盛岡という街の雑誌であるがゆえ、当然のことかもしれない。